朝ご飯を作るお母さんの横を通り抜けてサンダルをつっかけて玄関の鍵を開ける。
まだ日が昇ったばかりで薄暗いけれど、もうすぐ夏だ。寒くはない。
門の鍵を開けて、そのついでに郵便受の新聞を取ってくるのがわたしの日課であり仕事だった。


「ん?」

新聞を出すとそれにひきずられて何かがひらりと地面に落ちた。
慌てて拾って見ると、宛先には様の文字。
こんな変な時期に手紙をくれる人なんているだろうかと頭をひねってみても、 まっすぐ綺麗に縦書きで書かれた字体に見覚えはなくて。

でもどうしてなんだろう、すごくすごく、懐かしい気がした。











  夜の向こう
   Polaris...4










「久しぶり」

目の前で微笑む人に向かって、わたしもつられて微笑んだ。
もうすっかり落ち着いた低い声は本当に久しぶりで、すごく聞き慣れていたわけでもないのに ひどく安心してしまう。

1時間前までは熱気と歓声に包まれていたスタジアムも今ではしん、と静まり返って 生ぬるい風も火照った肌には涼しく感じられた。



「お疲れ様、と勝ち点3おめでとう」
「ありがとう。一馬は?」
「まだみたい。・・・負けちゃったから、ミーティング長引いてるんじゃないかな」
「ホームだったしね」

苦笑いしてスタジアムの方をチラっと見る。
人が来る気配はまだなくて、駐車場を照らすライトが等間隔にぽつりぽつりとその辺りを照らす他は、 ゆったりと夏の夜が横たわっていた。




「・・・・手紙、ありがとう」
「え?」
「チケット送ってくれたの、英士くんでしょ?」
「ああ、よくわかったね」
「わざわざポストに入れるなら手渡してくれたらいいのに」
「見てたの?」
「ううん、消印。」
「ああ」



細い線と縦長で綺麗な字に見覚えはなかった。
けれど、封筒を開くと綺麗に折られた便箋とサンフレッチェVS柏のチケットが1枚ずつ入っていて、 思わず笑ってしまった。もう2年も会っていない幼馴染の親友からの初めての手紙。
そこまで親しくはなっていなかったから、どっちがくれたのかしばらく考えたけれど、便箋を開けば答えは明らかだった。


「『試合終了1時間後に、第3駐車場50番で。そのあとの食事は奢るよ。』なんて一馬くんじゃ書きそうもないなあ、と思って」

ふふ、と笑うと英士くんは苦笑した。2年前よりも背が伸びている気がする。
やっぱりスポーツ選手は大人になってからもまだ伸びるのかなあ・・・・あの頃から背が高かったのに。 と、まだ現れていないあの頃一番背の高かった一馬君を思い出して微笑んだ。

「それに、結人が一馬は習字は上手いけど普通の字は下手だって言ってたから」

英士くんは少し驚いたように目を開けて、その後すぐに笑った。
ちょうどガシャガシャと一定のリズムで音がして、遠くから大きなバッグを肩に担いだ一馬くんが走ってやってくるのが見えた。












         *     











「でも、何でわたしを誘ってくれたの?」

食事の前に運ばれて来た飲み物を カラカラと掻き混ぜる一馬くんが顔を上げた。

「それは・・・」
「結人のことで聞きたいことがあって」
「・・・・」
「自分で言うのは平気なのに名前を聞くのは緊張する?」


お見通しです。と顔で言う英士くんに思わず顔がゆがんでしまった。
一馬くんも穴があくくらいわたしを見ているのが視線でわかる。
2人とも大人になって、テレビに出るような遠い存在になったといっても中身までそう簡単に変わるもんじゃないんだ、 と思ったらふいに結人が浮かんできて、慌てて振り払った。
今でも連絡を取り合っているんだろうな、とは思っていた。というか死ぬまで3人は一緒なんだろうな、と 揺ぎ無い関係に嫉妬していた。


「英士くんのそういうところ、昔からずるいよね」


小さく溜息をつくと、一馬くんが困ったような顔をするからますます居心地が悪い。
まるでわたしがいじめたみたいだ。今からいじめられるのはこっちだって言うのに、逃げられそうもない。


「結人のこと聞かれてもわからないよ。連絡とってないし」
「2年間1度も?」
「まったくないよ」
「試合は?」
「テレビのニュースとか新聞とかなら」
「それ、結人のこと避けてるよね」


一馬くんと英士くんも、種類は違うけれど2人ともやっぱり目が強い。
2人に問い詰められても・・・・本当のことだし、嘘ついたらあとが怖いし、逃げられないし。
避けてるといわれれば確かに避けてるかもしれないけど、でもわたしは突き放してるっていう意識で やってることなんだ、けど。


は結人のこと忘れたいのか?」


一馬くんが困った顔で言う。結人のことを心配してるのかな。

18歳で離れ離れになって、そうだ、あの頃のわたしはひどく夢を見ていた。
幼馴染なんて複雑で面倒くさくて苦しいものなのに、今更その響きに酔っていたのかもしれない。
自分に夢を見ていたのかもしれない。結人のために、なんて決意したところでわたしにできることなんて何一つなかった。
わたしが傍にいたら結人はきっと振り返ってしまうなんて、自惚れにもほどがある。

忘れないと思った、でもそんなの思う前から忘れられるはずなんてそもそもなくて。
今度は忘れようとした、でもそうすると余計に思い出されて、ますます苦しくなった。

結人がいてもいなくても、同じスピードで回りつづける世界で夢を見つづけるのにもう疲れてしまった。
いくら目を閉じてももう夢はやって来ない。

忘れたい、のかもしれない。もう会えない人のこと死ぬまで好きで居るのなんてみじめだし、 ばかみたいだ。結人はあっちでそのうち結婚して幸せになって、わたしのことなんてきっと自然と忘れていく。

「昔はそう思ってたよ。昔っていうか、ちょっと前まで」

「え?」
「てことは、今は違うんだ」
「うん」


一馬くんの真似をして、飲み物をカラカラと回した。
店員さんがちょうどサラダを持ってくる。

結人のこと突き放す振りしていつまでも結人のことすがって離さないでいるのはわたしの方。
誕生日もお正月もクリスマスも、全部結人なしで初めて過ごして、やっと自分が落ち着いてきた。

星に誓うよ。
結人があの星へ辿り着くためにがんばっているのに、自分ばかりひがんで置いていかれたなんて 思い込んでたわたしとはさよなら。
これで本当にわたしの中の結人ともさよなら。
空に浮かぶ星への道が一本なわけないって、やっとわかった。だいぶ時間がかかったけれど、気づいた。
わたしはわたしの道を行くよ。きっとあの星で、結人がついた反対側に辿り着くんだろうけれど。
もしまた会えるならそのときは、あの星で。


「今日2人に会えてよかった」

2人には、できれば話しておきたいって思ってたから。





「わたしね、明後日から2年間イギリスに留学するの」



英士くんが驚いた顔を、初めて見た。
あの頃に戻ったみたいだと思って笑った。

自分で決めたことだから、もう大丈夫









 N E X T 



060101