今日もいい天気だ。スタジアムのフィールドの脇の日陰でぽつりとのんびりする。 誰もいない観客席の椅子が太陽を反射して、俺は顔をしかめて目を閉じた。
思い出すのはの顔ばかりで、考えるのはのことばかりで、 誰もいないのをいいことに、しつこいくらい尋ねる。

元気か?何してる?俺の試合、ちゃんと見てる?
俺のこと、思い出してる?




声はこの距離を泳ぎ切れているだろうか。

もちろんそんなはずない。は今俺がこんな風に呼びかけてるのも知らないし、 俺がこんな場所に居ることも知らない。
もしテレパシーみたいな、それこそ糸のようなものがあって、色の指定なんてしないけれど 俺ととを結ぶ糸があって、俺がのことを考えるたびに、くん、との糸が引っ張られて が振り向くようなことがあるなら、なんて奇跡なんだろう。 でも22歳の俺はそこまで甘い夢を見ていないから。

俺の声はいつだって、どこか途中で溺れてしまう。












とはあの日以来会ってなかった。卒業式の日は、もちろんを見かけることはあったけど、 俺は人に囲まれていて、は気付いたら部活の追い出し会に行ってしまっていて、話すことも、 目を合わせることすらできなかった。

もう4年だ。18歳だった未成年の俺は22歳の青年になった。
18歳だったは・・・・・きっと、22歳のになっているだろう。
当たり前だった。

でも俺が思い出せるは18歳ので、それより昔のも、後のなんてもちろん これっぽっちも浮かんでこない。




ごめん、
俺、お前の声が、もう思い出せないんだ。



















  最後の1歩
   Polaris...3



















朝は快晴だと思って、そういえば俺は実は雨男でが晴れ女で、試合の前は必ずが てるてる坊主を作っていた。もしかしたら、今日もの部屋の窓に吊り下がっているかもしれない。
機嫌よく過ごしていたのに昼過ぎから早送りしているように雲がわきわきと膨らんで、雨が降り出した。
結局俺が妙なところで勝ったようだった。

雨は降りつづけて、夕方になってもそれは弱まらなかった。
視界にの姿はない。父さんと母さんがいて、足元にスーツケースがある。
母さんは何て言っていたっけ、そうだ、確か、頑張りなさい、負けちゃだめよ、辛くなったらいつでも電話しなさい。 そんなようなことだった。でも、実際は少し違うかも知れない。

発車のベルはいつだって、なんとなく心地いい高さを踏み外している。
耳に入るというよりも、頭を貫通するようだ。

笑って新幹線に乗った。の姿は見えない。
ドアが閉まると、途端に雨がそれを叩いて、水玉が窓に散らばる。 向こう側が歪んでいく、新幹線がゆっくりと歩き出す、 俺は我慢しきれなくなってしきりに辺りを探した。
が約束を破ったことなんて1度もなかったから。
新幹線が走り出す。
屋根がなくなって、海に飛び込んだように激しく水の音がする。


ああ、ホームの端で笑っているのはだ。





慌てて携帯を耳に押し当てた。
呼び出し音が嫌に気に障るのは、俺が俺を急かせていたからだ。
もう、俺の声が直接届くところに、はいないんだ。


「・・・・・結人?」
、」
「おめでとう。」
「え?」
「おめでとう、おめでとう、おめでとうおめでとうおめでとう・・・・」


それから2分くらいはずっとおめでとう、と言い続けた。
わけもわからずにそれを黙って聞く。実際は俺自身も何を言いたくて 電話をしているのか、さっぱりわからなかった。
は、と息を吐いた後、雨の音が聞こえる。


?」
「なに?」
「なんだよ、どうした」
「何でもないの。わかんなくていいの。」


ふふ、とは笑った。ああ、そんな風に笑われたら、忘れたくても忘れられるもんか。
本当は、喉まで出かかっていた。好きだなんて、言ってしまいそうだ。 喉までなんてもんじゃない、前歯の隙間から俺の思いが息と一緒に漏れていく。 でもそれを必死に食い止めようと、唇をぐっと結んだ。


「結人?」
「ん?」
「星、見えないね」
「うん。・・・でもさ、あるじゃん。見えないけどさ。」
「・・・・・・・・・」
「すげー笑ってるっしょ」
「・・・・なんでわかるのよ、ばか」


の言葉は一字一句はっきりと覚えているのに、声だけが思い出せないんだ。













「若菜」



よく知る声に引き戻されて目を開けた。
夢なんてみていないのにいつも夢から醒めた気分がしてなんだかふわふわと余韻に包まれてしまう。
はい、と短く返事をして振り向くと、監督がわくわくしている子供のような笑顔で手招きをした。



「例の話、決まったぞ」


おめでとう、と強く腕を叩かれる。おめでとう、なんてタイムリーで懐かしい言葉だ。
懐かしさと同時に、爆発的に嬉しさが興奮の波に乗って押し寄せる。
ようやくあの星に降り立つ準備ができた。

最後の一歩だ。

















俺たちの夢の星。

なのに、俺1人だけでそこに降り立つなんて、声さえも忘れたまま君 を地球に1人残して行くなんて。
そんなの誰がどう見たって間違ってる。










N E X T (夜の向こう)



051102