夜9時を回って、わたしのすきなドラマがちょうど始まったときだった。 インターホンが鳴って、お母さんのいつもより少し、高い声。 テレビでは主役と相手役がプラネタリウムに来ている(先週の)続きだ。 食い入るようにみつめていると、いつの間にかわたしの後ろまでやって来たお母さんは、 返事をしない(というか、聞こえていなかった)わたしに向かって溜息をついて、結人くんよ、と言った。 こんな遅くに、という思いもあったけれど、慌てて玄関へ行く。結人は、おせーよ、とまたわたしに 向かって溜息をついて、笑った。 「いいか、あれが俺たちの夢の星だ!」 ちょっと来い、と門の前まで連れ出されて、何かと思うと、結人は南の空でいちばん明るい星を指差して笑う。 結人の意味不明な発言とわがままにはもう充分に慣れていて、今度はわたしが少し呆れたような溜息をついた。 指の先に広がる空をみながら まるであのドラマみたいだなあ、と結人はもちろんあのシーンは見てるはずないのに、なんとなくあの2人に 自分達を重ねて、無意味なことに気付いてひとり、恥ずかしくなる。 「ばかだね、結人は。」 理科で習ったじゃない、季節が変われば星は動くし、見えなくなるんだから、 どうせ夢の星にするんなら・・・・ 「あの星にしなよ」 わたしは結人の指と180°逆の方向の天頂を指差した。 生まれてから死ぬまで、微動だにせず、空を支える光る杭。あの星なら季節が何度変わっても、すぐに見つけられる、 まさに絶好の星だ。 わたしの指先を目で追って、結人は嬉しそうに、わはは、と笑った。 ――じゃあ、あの星が今日から俺たちの夢の星だ。 「うん。」 「俺は5年後の今日までにあの星に着く!」 約束な! と、結人はわたしに笑ってくれた。 14歳の、誕生日。わたしは結人が好きだ。 P o l a r i s 君の指先に輝くあの星まで あの時と同じように、夜9時を回って、あのドラマはもうとっくの昔に終わっていたし、 新しいドラマも見ないで、わたしは自分の部屋で勉強に打ち込んでいた。 高校3年生の冬は、すごく、苦しい。 インターホンが鳴って、お母さんの高い声。 わたしはお母さんに呼ばれる前に上着を着て階段を降りる。 あの頃からだいぶ大人びた結人は、お!はえーじゃん、と言って、あの頃と同じように笑った。 「荷物とか、大丈夫なの」 「服とかは送ったし、家具はこっちに置いてくから余裕。」 「そ、か。」 結人は明日、大阪へ行く。 約束の期日より約1年早く、結人は星に手を伸ばした。 だから結人とこうして、昔からずっとそうしてきたように、家の近くの駐車場で話すのは、きっとこれが最後。 お互いなんとなくわかっていて、でも、お互い『いつも通り』を心がけてた。 わたしは、最後だってことを意識したくなかったから。 結人は、どうしてなのかはわからない。 「ゆ、」 「、明日見送り来いよ」 「・・・・・」 「来いよ」 「・・・・・勉強、しなきゃじゃん?わたしもうすぐセンターだし。」 上手く笑えなくて、冗談でさえ上手く言えない。 なんだか自分がひどく掻き回されているようで、気持ち悪くなった。 明日結人がいなくなるんだ、とまだ私自身よくわかってなくて、 これが最後の減らず口になるんだろうけれど、素直になれないのは生まれつきできっと死ぬまで治らない、かも。 ―――大阪だなんて、行ったこともないのに。 11月、友達の何人かが推薦を決めるころ、 結人はわたしに、おはよう、と言うように「俺ガンバ行くんだ」と言った。 わたしは結人はきっとヴェルディに行くだろうと思ってた。ヴェルディユースだから、 そのまま、英士くんも、一馬くんも一緒だろうって、勝手に決め付けていた。 まさか、大阪だ、なんて、だって、しゃべり方が違うんだよ、外国ですか、結人君会話大丈夫ですか、 て、からかったけど、家に帰ってから小学校の頃使ってた地図帳をひっぱりだして、指で真っ直ぐ線を引いてみた。 あんまりに遠くて、泣いた。 「、・・・俺さー」 「なに」 「あー・・うん、何でもね。」 「気になるじゃない。」 「気にすんなって!」 また結人は、わはは、と笑った。 その笑顔が、この前ニュースで見た、宇宙飛行士の人みたいだった。 それは、まるで。 宇宙飛行士を夢見て、訓練して、ロケットに乗って、惑星にたどり着くように。結人は、 サッカー選手を夢見て、練習して、プロになって、世界の舞台に立つ、んだ。 わたしは、きっと、ずっと地球にいるんだろう。 きっと、ここから動けないんだろう。いつか結人が降り立つあの星を、わたしはいつまでも 指差して、空を掴むんだろう。 「行かないで」なんて言えるはず、ない。 もちろん結人は、自分のために、でも、わたしとの約束のためにも、星を目指してくれた。 あの約束は、結人が自分を逃げられなくするために言ったのかもしれないけど、 わたしはそれでも構わない。わたしを選んでくれて、嬉しかった。 勉強するなんて、嘘だ。 見送りに行っても行かなくても、どっちみちわたしは結人のことしか考えられないのはわかりきってた。 ただ結人が新幹線という横たわったロケットに乗って、地球のわたしに手を振るのを見たくないだけ。 発車のベルというカウントダウンを聞きたくないだけ。 結人の前で、泣きたくないだけだ。 「卒業式はどうするの?」 「その日は帰ってくるつもりだけどなーめんどいなー」 「人気者は大変だからね」 「うっせ、茶化すなよ」 ふふ、と笑った。 そうすると結人は、笑ったの久しぶりに見た、と言って笑った。 受験生に笑いはいらないのよ、と思ったけれど、たまには笑わないとだめかもしれない。 なんか、元気出てきた、かも。 お別れなのに。 「へんなのー」 わたしはまた、ふふ、と笑った。 冬休みから3年は卒業式まで授業がなかった。自宅学習が基本で、受験に向けて、各自がんばりなさい、と いう学校の計らいだ。 だから結人はこの時期に引っ越すわけなんですけど。 なんだか楽しくなってきたわたしを横目で、わっけわかんね、と言って楽しそうに笑った。 明日結人は、大阪へ行く。 わたし達は今でも幼馴染で、わたしは、ずっと結人が好きだ。 N E X T 050820 |