夕陽で朱に染まる 海岸通り spring 春休みが来て、それでもまだ寒くて。 お正月ぶりに家に戻ってきたわたしは、まだ1回も外へ出ていなかった。 寝そべる畳の上、セージが爪を擦らせる音を立てて、 リズムを作りながら近づいてくる。 「散歩行きたいの?」 でも、ごめんね、あの道を歩きたくない。 会うはずがないのはわかってる。それが嫌なんじゃないの。 思い出すのが、こわい。 海のように、寄せては返す、記憶。 ずっと憧れてた。 本当は、初めて会ったのはまだ小学生のころだった。 やっぱりあの道で、わたしはお母さんと一緒にまだ子犬だったセージの散歩をしていて、 藤代くんはお兄さんと一緒にドリブルの練習をしていた。 すれ違ったのは1度だけ。見かけたことは何度かあったけど、ただそれだけだった。 武蔵野森に入って、サッカー部の練習で学校の周りを走ってるのを帰りがけに見かけて、 すぐわかった。 ウィンドブレーカーに書いてあった背番号で、名前もわかった。 隠してもいないタイムカプセルを見つけたみたいで、すごくすごく嬉しかった。 試合で楽しそうにサッカーしている彼を見て、もっと嬉しかった。 ああ、やっぱり、あの頃の彼がそこにいるんだって。 それから、わたしの目はすぐに彼を見つけられるようになった。 でもその感情は憧れとか、懐かしみで、彼を応援していた。 わたしのどこかに昔からあった、正体不明の願いのような感情を、 彼なら全部持って、飛ばせてくれるような気がして。 夏休みに、あの道で見つけて。 びっくりしてリードを放してしまった。 セージは駆け寄って、彼は気付いて、抱き上げて、わたしを見て笑ってくれた。 それだけで、よかった。 涙を、なんとかこらえた。 微かな望みが芽生えてしまった。 名前を知ってもらえた。 名前を呼んでもらえた。 笑顔を、向けてくれた。 何もいらないから、ただ話せるだけでよかった。 何も言わないから、何も言えなかった。 それが結果的に彼を裏切ってしまって、もう遅くて。 浮かれていたわたしを憎んだ。 そういう意図があったんじゃないって、ただそれだけ、わかって欲しくて。 もう戻れないところにいて、ああするしかなかった。 どの道をとっても傷つけてしまうなら、彼よりわたしが深い傷を負う以外に、救われる方法がなかった。 あの時、わたしも武蔵野森にいるんだよって、それだけ言えばよかったのに。 それが邪魔になるような気がして、海とあの道と、蝉の声があれば他には要らない気がして。 「ねえ、セージ。ごめんね、こんな、ばかな飼い主で」 それでも同じ名前なのは偶然でも必然でも、幸せなんだと思った。 嫌われてしまっただろう。 もう会えないだろう。 話もできないだろう。 名前を呼ぶことも、呼ばれることも許されないだろう。 でも、見ていることは、させてほしい。 応援だけは、許して欲しい。 「行こうか。もう泣きたくないから、手伝ってね」 セージの背中を撫でると、あたたかくてやさしい気持ちが、少しだけ生まれた。 |