あの道が、あたたかくてやさしい気持ちで海原を染め上げ、両手を広げて微笑んでいる。











海岸通り
 spring









もし君も、同じ気持ちでいてくれたならと、思った。
ちゃんの最後の誠二くんは、誰にも消されなくて、今でも 耳にも心にも頭にも残って、むしろ名前を呼ばれるたびにあの時をフラッシュバックさせる。
そのたびに俺は軽い眩暈のような気持ちの揺らぎに襲われて、奥歯を噛み締めて堪えるんだ。


学校ではもちろん会わなかった。
真実を知ってから、同じ制服を見つけてはちらと見るようになったけれど、 横顔も後姿も、初めからそこに存在していなかったのようでますます混乱してしまう。
避けられているのは当然。
だけど、俺だって避けていいはずなんだ。

前よりも追ってしまうのは、どうして?









現に俺は、海岸通りに立っていた。
春休みは忙しくて家にだって帰れるか帰れないかくらいなのに、 無理を言って1日だけ休みをもらった。 病院で検査なんです、なんて嘘をついた。 これが怪我の功名ってやつなんだ、なんて勉強してみたりして。

ちゃんが帰ってきているかなんて知らないけど、ここへしか、俺は来れない。




「海…寒いじゃん。タクの嘘つき」


もう春なのに、夕暮れは肌寒い。
暑いくらいに夕日は赤いのに、海は染まっているのに、 そこからの風は冷たくて、かっこ悪いけど誰もいないからいいやって思いっきり鼻を啜った。



「ワン」
「わ!…ん……」






ああ、デジャヴのようだ。

ただそれはデジャヴではなかった。
だってあれは暑い真夏の昼間で、空も海も青くて、太陽は白かったから。
蝉の鳴く声、俺は汗をぬぐって、海から吹く風が気持ちよかったから。

だって今はまだ寒い春の夕暮れで、空も海も太陽も、みんな揃って赤いから。
俺と同じ名前の犬が鳴く声、俺は鼻を啜って、海から吹く風にしかめっ面をしていたから。



「……」
「……なん、」
ちゃん、あの」
「ごめんなさい…」

ちゃん!」




もし君も、同じ気持ちでいてくれたなら

ちゃんが同じ学校だったのを言わなかったことに意味はない。 ただ、あの空間が、あの世界はが、そんなものを忘れさせてしまったんだ。
頭の中から消し去ってしまったんだ。
俺が何も言わなかったように、君が何も言わなかったのなら。
傷つけたのは俺で、傷ついたのは君だ。

だってよく考えたらそうだ、言った方が得なはずなんだ。 同じ学校ならそうなんだ、ってなって、学校始まっても会おうと思えば会えたし、 今ごろならずっと距離が近くなっていたはずなんだ。

なんで裏切ったと思った?なんで裏切られたと思った?
初めからそんなこと全然なかったのに、 2人しておかしな勘違いですれ違って、涙させてしまった。

謝らせてほしい、やっぱり俺はどこまでもばかなんだって、ごめんって言わせてほしい。





掴んだ腕は細かった。
コートがそこだけぎゅっと絞られて、君は振り向く。



「ごめんなさい…」
「ねえ、ごめん。俺が気付かなくて、全然、バカで」
「……わたしが、言わなかったから」
「違うんだって!」
「違わないよ、わたしが言えば…傷つけなくて済んだのに」
「違うじゃん!ちゃんは俺が言わなかったから言わなかっただけだろ?」
「……」
「俺が勝手に、傷つけられたと思っただけで、ちゃんが勝手に傷つけたと思っただけで、 ほんとはどっちも傷ついてなんかなかったのに」

「もう、いいの。」

ちゃん!」
「あは、なんか、…話したりとか、名前とか、呼んでもらえただけで、ね。もういいの」
「…ちゃ」
「ありがとう、忙しいのにこんな所まで来てくれて。優しすぎて、泣いちゃいそう」


やっと目を合わせてくれたちゃんは、がんばって笑ってくれて、 俺みたいに奥歯をぎゅっと噛み締めて、涙を目に閉じ込めた。

知ってるんだ、同じだから。噛み締めるのは、苦しいからでホントは泣きたいし、 大声で助けを求めたりしたいんだ。でも、できないからそうやって我慢してるって。





「俺、ちゃんが好きだから、俺のせいで傷ついたり泣いたりするのが嫌なんだ」



「…嫌いなんじゃ、ないの」
「え?」
「わたし、嫌われちゃったんじゃないの」
「なんで?」
「なんでって…」


「ねえ、俺のこと許してくれるならちゃんと、名前呼んで」




「…、誠二くん」


嬉しくて、思わず両手をぎゅっと握って、静かに額を寄せた。
ちゃんは一瞬びっくりしたように肩を跳ねさせて目をぎゅっとつぶったけど、 ゆっくりと目を開いて、恥ずかしそうに笑ってくれた。


「好きだよ」
「うん、好き」









夕陽が落ちる瞬間に、海からふわりと風が吹いた。
そこには確かに 春が舞う。










060225