ロゼットのアダージョ having an icecream.yum.. 彼はいつだって、わたしがようやっと忘れた頃にやって来た。 わたしのことなんか、気持ちなんかお構いなしで、こうするよって報告をするだけ。 わたしは、泣き喚いて嫌だと言うことも、無視することも、怒って胸を叩くことも許されなくて、 はいそうですか。と受け入れるほかに術はないというのに、彼は必ず笑って言うのだ。 その度にわたしは傷ついて、その傷が癒える頃、彼はその瞬間を見計らっていたかのようにやって来る。 またわたしを傷つけにやって来る。 終始、彼は笑顔だ。 「、またアイス食べてんの?」 ただでさえ寒いんだからやめてくれ、と彼は呆れた顔で向かい合わせのソファに身を沈めた。 外ではみぞれがかれこれ1時間弱降っていて、雪にも雨にも変わらないそれにわたしは 不思議な安堵を覚える。 部屋の中は暖房と床暖房の併せ技でポカポカ(というか暑い位)で、そのアンバランスな空間の中で アイスを食べるのが好きだった。 うん、ちょうど真夏にクーラーを効かせてラーメンを食べるのと同じ感覚で。 彼に会いたくなかった、わけじゃない。 でも彼がわたしを傷つけにやってくるときは必ず会った最初から違う雰囲気で、 わたしはそれを察する。これで何度目だろう… もし心がまんまるだとしたら、大きな傷と小さな傷と、あわせたら一体いくつでこぼこがあるだろう。 カラーボールのようにピカピカだったわたしの心は、18年間のあいだに月よりもあちこちが窪んでしまった。 「まったく。早く食べろよ、溶け出してるぞ」 見てるこっちが寒くなる。 彼は文句ばかりだ。わたしがのろまでまぬけなわけじゃない。 あまりに彼は要領がよくて、完璧なだけだ。 寒くなっちゃえばいいのに。唇が凍えて、話ができなくなってしまえばいいのに。 わたしは零れ落ちないようにコーンを回しながらアイスを食べる。 食べている間は何も言わなくていいから、その間に話して欲しいのに―― 彼はわたしがわざとそうしていることが解っているから、急かすし、決して話を始めない。 そうやって周りを固めて、わたしを逃げられないように囲い込んで、傷つけるんだ。 「……どうしたの?」 今日は、とティッシュで口を拭いて言った。 根競べでは絶対に勝てない。彼よりもわたしよりもアイスはどんなにがんばっても 溶けてしまうから。 「どうもしないのに来ちゃいけない?」 「…いけなくないよ」 どうもしなくないくせに。 心の中で思っても、彼にはわかってしまう。 ――ほら、また笑った。 知り合ったのは幼稚園で、お母さん同士が仲良し。家は近くなかったけれどその関係でお互いによく行き来していた。 小学校は違ったけれど、彼が最初に大きくわたしに傷をつけたのは中学に入る時だった。 「俺、私立に行くから」 笑顔で告げた彼にわたしは豆鉄砲を食らった鳩の顔で返答した。 なんで中学受験なんか。飛葉中でまた一緒だって言ったくせに。 するならするで、受ける前に教えて欲しかった。 そう思ったけれど、彼がこの時を選んだことも計画されていたんだとわかった。 今日はそのときにひどく似ていた。 ちょうど寒くて、みぞれは降っていないにしろ、空は一面灰色だった。 低く控え目な暖房の音で顔を上げる。 翼は嬉しそうに笑っていた。 「俺、プロになるよ」 「知ってる」 「馬鹿、違う。決まったの」 「…ほんとに?…お、おめでとう…」 こんなに早く、プロになるなんて 思わなかった。 翼はさっきよりもっと嬉しそうになって、俺がなれないはずないだろと言った。 今まで緊張していたものがふわっと解けて、わたしはふやふやと笑う。 なんだあ、今日は嫌なことじゃなかった 嬉しくて頬がどんどん緩んでしまう。 翼の自信たっぷりで怖いもの知らずの顔が、好きなのだ。 昔っからずっと、ずっと 好きなのだ。 「それで、どこのチームなの?」 大きな目が、わたしを捉えた…捕らえた。 アーモンドの形をした宝石の中に閉じ込められた錯覚、 琥珀の中の虫みたいだ。 「俺、スペインに行くから」 頭の中で、低く控え目な音が まっすぐ鳴った。 みぞれはいつの間にか雨に変わって、拍手みたいな音を立てながら窓を叩いていた 060127 |