従兄弟の翼が代表合宿に遅れて合流するために、成田からの送迎係を任されたのは初めてだった。 今までは玲叔母さんがその役目を買って出ていたが、今回はちょうど東京都選抜の合宿と重なって 行けなくなってしまった。 そこで親戚で且つ、持て余した余暇をほぼドライブに注ぎ込んでいる暇人学生の私に白羽の矢が立ったのだ。 従兄弟の翼は同い年で、高校生くらいまでは毎年盆と正月の親戚の集まりで顔を合わせていたし、 私たちに年の近い従兄弟は他にいなかったから一緒になって遊んでいた。正月は毎年高校サッカーに釘付けで、 私は経験者でもないのに翼から否応なしに知識を詰め込まれたお陰で、サッカーに詳しくなってしまったのだった。 しかし、それも高校に上がるまで。翼はいよいよサッカーに吸い込まれていくようにのめり込んで、 部活だの選抜だのを理由に集まりに顔を出さなくなった。つまり、顔を合わせていないのだ。 携帯番号だって、玲叔母さんからこの任務を言い付かるまで知らなかった。 従兄弟同士の繋がりなんて、所詮そんなもの。 正直テレビ画面でしか見ていない成長した従兄弟をどんな顔で迎えに行けばいいのかわからなかった。 (どんな風に話してたっけ。ああ駄目だ、全然思い出せない) 空港の駐車場で翼を待つ。玲叔母さんがいつもやっている通りの動きをするだけだから、 やること自体は全く難しくないし、翼には説明すらいらないだろう。 報酬として提示された、以前から憧れていたバッグに目が眩んで飛びついたものの、任務以外の部分で こんなに悩むことになろうとは……。安直すぎる自分に悲しくなった。 「…い、おい」 コツン、と運転席の窓がノックされて、思わずびくりと体が強張った。 見るとテレビ画面よりもスッキリとした姿の翼が呆れ顔でこちらを見ている。 「ご、ごめん。ボーっとしちゃって」 「ホントにね。全く変わってないんだから。トランク開けて」 「は、はい!」 翼は慣れた動作でトランクに荷物を積むと、ドスリと助手席に乗り込んだ。 なんていうか、外見と反比例して中身はますます可愛くなくなったようだ。 「じゃあ俺寝るから。揺れないように運転しろよ」 「…わかった。」 もう溜息しか出ない。一体この態度のでかさはどこから来るのだろう。昔からそんなところはあったものの、 生意気な中学生程度の可愛い物だったのに。 確かにスペインで活躍していて20歳にして日本代表スタメン。半端でなくすごいとは思う。 それを踏まえたとしてもこのふてぶてしさは何? 私への労いの言葉くらいあってもいいものではないか。凡人だけどさ。5年振りに会った従姉妹じゃないか。 沸々と湧き上がってくるイライラを、むしろ寝てくれれば会話せずに済むしかえってラッキーじゃないか、と ドポジな思考に変換することで抑えて、私は静かにアクセルを踏んだ。 じきに聞こえてくる静かな寝息に思わず笑顔がこぼれる。 「黙ってればって、翼のためにある言葉かも」 思わず口をついて出た言葉に慌てて助手席を確認するも、当の本人は安らかな眠りの中らしく一安心。 聞かれていたら後が怖すぎる。頭脳だけでなく今や財力も人脈もある彼に、何をされるかわからない。 信号や曲がり角に細心の注意を払った私のテクニックは、自分で言うのも何だがハイヤーも顔負けっていう くらいスムーズで静かなドライビングだったと思う。 何だかんだ言って大事な従兄弟だし、こうやって顔を見てみると、さっきまでパッタリと思い出せなかった 昔の思い出が、今度は流れるように現れて不思議な気持ちにさせた。 やっぱり、翼は私の自慢のヒーローだ。 いつの間にかすっかり機嫌は直ってしまっていた。 高速を降りて一般道に入る。合宿が行われている習志野は空港からそう遠くないし、すっかり眠っている 翼を起こすのはなんだか憚られた。 住宅地の近くでもあるので速度を落とす。始めあんなに悩んでいたのが嘘のように、再び迫っている別れが 寂しく思えた。 次は一体いつ会えるのだろう、そんな気持ちさえ生まれてしまっている。 今度は自分に溜息が出た。 「…?」 「起きた?もうすぐ着くよ」 「うん…じゃあ、遠回りして」 「え?」 「冗談だよ」 「なんだ…びっくりした」 寝ぼけた従兄弟にからかわれて顔が熱くなる。驚きの中に確かに喜びが一瞬覗いてしまった自分が恥ずかしい。 夜でよかった。ますますからかわれたら、もう会わす顔がない。会いたいけど。私しつこいな。 目を覚ました翼にビクビクしながら進む。まだ完全に醒めていないのか、翼はそれっきり大人しく黙っていた。 「はい、着きました」 「あー疲れた」 「お疲れ様」 トランクのロックを外すと、ガコンと背後で音がした。 翼はぐっと伸びをして車を出る。トランクから荷物を降ろすと、車が少しだけ揺れる。 革靴の音が静かな駐車場に響く。目を瞑るとそのリズムが鼓動のようで、もうしばらく聞いていたいと思った。 コツン、とまた窓がノックされる。ふっと目を開けると、翼が窓を下げろ、と手で合図した。 「どうしたの?」 「これ」 差し出されたのは、翼が出場するであろう代表戦のチケットだった。 チケットと翼の顔を交互に見ると、お駄賃、と得意げに笑ってチケットを私のおでこに貼り付ける。 「わ、…っ!」 ちゅ、というリップ音付きで軽やかに私の唇を奪うと、 大きなボストンを背負い直して、悪戯が成功したときの子供のように楽しそうに笑った。 「黙ってなくてもいい男だってこと、これから解らせてやるよ」 鼓動の半分以下でリズムを刻む足音が遠ざかって行くのが聞こえた。 今運転したら、確実に事故る。 090403 |