蝉時雨に追い立てられて、夏が駆け足で逃げてゆく。 消えかけの夏に必死に食らいつくように、蝉達が必死で歌っている。 あたしはそのどちらでもなく、この時間にさえ置いて行かれる気がした。 (そして、きっと 彼にも。) 夏のヒーロー my hero of summer with the sunburnt face☆ 畑と田んぼと山に囲まれた片田舎ではまだなんとか夏が虫の息をしていた。 市街地と山との境目辺りの集落に住んでいるあたし、と、そのお隣に住んでいるおおじいとおおばあ。 2人だけで住んでいるから小さいころからよく遊びに出かけては、昔話やお手玉を教えてもらっていた。 その、おおじいとおおばあのお孫さんの、悠ちゃん。 埼玉に住んでいる悠ちゃんは昔から野球が大好きな男の子で、でもお盆の頃に毎年 家族みんなで(ものすごい大所帯でいつも楽しそうだ)おおじいとおおばあの家にやって来ていた。 小さい頃からあたしと悠ちゃんはお盆に毎年遊んでいた。 でも、小学校4年生のときにリトルリーグに入った悠ちゃんは、中学でももっと強いチームに入った。 その年の夏におおじいの家に遊びに行くと、アイスを手渡してくれながら「悠一郎のとこがまた勝ったんだとよお」と 嬉しそうに言った。あたしも嬉しくて笑った。 その年、悠ちゃんは来なかった。 水路の関のブロックの上に座って仰向けに倒れて、目をつむってみた。 蝉は夏が来なくても叫ぶのだろうか。 夏は蝉がいなくてもやってくるのだろうか。 悠ちゃんは今年、ニシウラ高校の野球部に入ったそうだ。 結局中学3年間悠ちゃんは来なくて、相変わらずおおじいは嬉しそうに「悠一郎のとこがまた勝ったんだと」と笑っていた。 あたしも笑った。よかったね、と笑った。 心は泣きたいくらい、寂しかった。 今年もきっと悠ちゃんは来ない。 ニシウラが強いのか弱いのかわからないけれど、高校の部活の忙しさはそれなりに体験して知っているから。 しょうがない。 思えばこっちに来ても悠ちゃんは、毎日木のバットを振り回して、ボールを投げて、畑にスライディングして、 野球ばっかりだったのだ。 それでもあたしは楽しかったんだ。 夕暮れの帰り道もいつだって泥だらけで手もつなげなかったのに、 (それでも楽しかった。たのしかったんだ、よ) 悠ちゃんの泥んこの笑顔は、小学校6年生のまま。 きっともう、このまま色あせて消えてゆくような気がした。 (あたしも色あせて消えてしまいたい) 「ー!」 悠ちゃんの声がした。でも、低い声だった。ちょっと、掠れ気味で……最後に会った悠ちゃんは、声変わりしていない。 おかしいなあと思ったけれど、すぐに蝉時雨にかき消されてわからなくなってしまった。 耳元で、ぺたという音がした。 まぶたが深い紫になる。日が沈んだ音? 「ってば!!」 「……」 やっぱり低い声なのに悠ちゃんだと思って、目を開けた。 寝転がるあたしをまたぐように覆いかぶさって、やっぱり 悠ちゃんだった。 来ないはずなのに、野球と泥だらけになってるはずなのに。 「ゆ、うちゃん」 「うん、久しぶり!」 ワイシャツの袖をぐるぐると雑に捲って、真っ黒な腕であたしの両腕を掴んで、引っ張って起き上がらせて 、悠ちゃんがにこにこ笑っていた。 お盆どころか夏なんてもう、終わってしまうのに。 「なんで、」 「に会いたくてさあ、俺のこと忘れてなくってよかった!!」 「忘れるわけないよ…」 「だよなー俺と一緒だな!!」 わははと笑いながら、悠ちゃんはあちーあちーとシャツの胸元をつまんでパタパタさせていた。 あたしの胸もパタパタしてきて、笑った。寂しいなんて、言葉すら浮かんでこなかった。 「悠ちゃん、今日は野球は?」 「終わってから来た!チャリマジで漕いだんだけど2時間もかかんのな!ハラ減ったー!」 「2時間…(あたしだったら倍以上かかるよ)」 「明日も部活あるんでしょ?家でご飯食べていきなよ、軽トラで送るから」 「おー!やった!!サンキュー」 よっ、と掛け声も軽く飛んで悠ちゃんは水路の脇のあぜ道に降りた。 あたしも真似するように飛び降りる。おしりの汚れをぱんぱんと叩いて、悠ちゃんを見上げた。 会わない間に抜かされちゃったんだ。 「きれいだよ!」 「へ」 左手に太陽の欠片を掴んでるみたいで。 悠ちゃんの右手はいつの間にか大きくて、泥んこじゃなくて。 ちょっと強く握られた手に嬉しくなる。 (つれて行って、くれるんだ) 大事なだいじな日に焼けたあたしだけの夏のヒーロー 060925 |