発車まで、あと5分。 空がごうごうと唸りをあげて怒り狂ったように閃光と爆音を地上へ落としている。 稲妻とほぼ同時にやってくる雷鳴は地面をも揺らしているように感じて、易々とわたしを震え上がらせた。 (もうすぐ駅なのに…) 夏の終わりにやってきた低気圧。通称ゲリラ豪雨。日中雲ひとつない青空でカンカン照りだった日でも、夕方 突然どこからともなく分厚く薄暗い雲がわきわきと積もって、あっという間に雷と激しい雨を落とすのだ。 まるで海がひっくり返ったんじゃないかと思うくらいの水。シトシトやザーザーなんて音じゃない。 わたしは絶対に空と海が結託して大地をいじめているんだと思う。大地に住んでる、わたしたちを。 そんな雷が死ぬほど苦手な私はといえば、駅前の軒先で立ち往生していた。 ここから駅構内までの約50mだけ屋根がないのだ。おまけに傘もない。コンビニも駅までない。 多少の雨なら走って行くけれど、さっきから視界を大幅に遮るくらいのこの豪雨。そして雷。 ちょうど真上に雷雲がいるらしく、さっきから避雷針に光の柱が吸い込まれていくのを何度も見てしまっては、 いい大人のくせに恥ずかしいけれど正直動けそうにない。 実際さっきから雷がものすごい音を出すたびに全身の筋肉が一気に硬直して、そのせいでちょっと疲れてきている。 しかし雨の止み間を待ってすでに1本電車を見送っているわたしには、もうあとは残されていなかった。 次の電車に乗らなければ病院の面会時間には間に合わない。 足を怪我して入院中の友人の、今日は誕生日なのだ。小脇に無意識にしっかりと抱えられた紙袋も今日のためのもの。 (どうしよう…) あと3分で電車が発車する。 こうなったら…と思うたびに雷が落ちて、わたしの決意も一緒に木っ端微塵に砕かれる。 「お姉さん、大丈夫?」 雨の音が五月蝿くて、その声すら遠くに聞こえた。 でも首を向けると同じ軒先に20代前半くらいのお兄さんがいて、目が合って微笑まれたことと 他に周りに人がいないことから、声をかけてくれたのはこの人なんだと思った。 「え、あ、雷が」 「怖いんだ?」 「そ、(んなことないです)」 「そっか」 その時のわたしには、比喩でなく彼が神様に見えた。 彼は自分の持っている傘をパンと広げると、わたしを背中を傘を持っていないほうの手でゆっくりと押した。 わたしは状況が何一つ飲み込めないまま、彼の手の言いなりになって足を踏み出す。 「耳を塞いでて」 彼は高校生に見えるくらい子供っぽく笑って、わたしの腕を耳に当てる。 わたしも何だかわからずにもう片方の手も耳に当てる。 雨の音も雷の音も聞こえるけれど、ぐっと強く押し付けるとだいぶ遠ざかったように感じられた。 彼はその様子を見て満足そうに顔を上げると、再びわたしの背中に手をやって、雨の中へと歩を進めた。 わたしは催眠術にかかってしまったようにぼんやりとしながらも、駅がどんどん近づいてくるのをはっきりと認識した。 そして、カチという傘の金具の音で気がつくと改札の前。 「気をつけてね」 彼は片手を上げると、また傘を開いて雨の中へ去っていった。 「あ、………お礼」 とりあえず病院についたわたしは、プレゼントを渡した後は主役そっちのけで わたしを駅まで連れて行ってくれた「神様」の話を延々と聞かせた。 # 「あの神様、どっかで見たことある気がする…」 「またその話?」 「だってお礼したいんだもん」 「あんたって本当律儀ね」 それから数日経ってお昼休み。今日も天気がよくて会社近くのカフェのテラス席で同僚2人とお昼を食べていた。 オフィス街の中にあるカフェなので周りはガラス張りのビルばかりで、反対側のビルのロビーの大きいプラズマテレビから 流れているニュース映像までよく見える。 お昼はいいともでしょうよ。と内心思うけど会社なんてこんなもんだよなあとも思う。 「あ、そういえばさ、今日代表発表じゃない?」 「代表?」 「サッカーよ、W杯予選」 「ああー、あるねあるね」 「あれ、昨日じゃなかった?」 「そうだっけ」 「確か夜ニュースで見た気がするけどなー」 「誰がいたか覚えてる!?」 「有名な人しかわかんないよ」 「有名な人しか選ばれないわよ」 黒木さんはサッカーが好きらしくて、テレビで試合を放送するときは絶対残業しない。 帰りにスポーツバーみたいな所に寄って、みんなで観戦しながら騒ぐんだとか。 「あ、ほらこれからやるよ」 反対側のプラズマテレビがスポーツニュースに切り替わったのが見えたので促す。 促しながらパスタをクルクル回した。 「あ!やった!呼ばれてる!!」 「えー?」 「DFのところに須釜って書いてあるでしょ?あたしあの人が好きなの!」 「あー…なんか色白で品がありそうだね」 「そうなのよ!!あんた見る目あるわ」 「そりゃどうも…あ、あああ!!」 「ちょっと!声が大きいよ!」 「、あの人…!」 「なに?どの人よ」 「MFの…横山って人」 「あー、横山はいつも選ばれてるじゃない。」 「そうなの?」 「しかも同い年よ。才能ってすごいわよね」 「クロちゃんのウンチクもすごいです」 「あのひと…」 「なによ?」 「……(もぐもぐ)」 キレイに巻けたパスタを口に放り込んだ。 (神様じゃなくて、横山さんていうんだ) その夜わたしはレターセットを買って帰り、横山さんの所属するクラブを調べて手紙を書いた。 ファンレターの部類に入るのかな、と思いながら、心の隅っこで、お礼レターっていうジャンルはないのかな、とか 無駄な抵抗をしてみたりして。 ちゃんと読んでくれるというか本人の手元に届くのかとか色々と悩んだけれど、ひとまずお礼を言いたかったこの数日間の もやもやを少し解消できて心が軽くなった。 横山平馬。へいまって変わってるけどいい名前だな、声も低めで優しそうだったな。 何も言ってないのに駅まで連れてってくれたし、ちょっと不思議な人、でも子供みたいに笑った顔が素敵だった。 わたしのこと覚えてるのかな。もし覚えてたら返事くれるかな、いや、くれるわけないか。 有名人に入れ込むなんて中学でも高校でも縁がなかったくせに、いい大人になって今更ファンだなんて(恥ずかしい)。 と思いながらもさっきからニヤけてしまう口元が本当に憎らしかった。 わたしってばかだ。 ## 手紙を出してから2週間。当然ながら返事なんてくるはずもなく、横山さんまで届きましたよーなんて通知が来るはずもなく、 わたしはいつもと同じようにぼやっと毎日すごした。ただ、サッカーは少し勉強した。 ついこの前にサッカーの試合があって、わたしは黒木さんに連れて行ってもらって初めてバーで観戦した。 バー観戦もだけどサッカーの試合をこれほど真剣に見たのも初めてで、90分間集中してテレビを見続けられたことに少し感動した。 横山さんは試合開始から終了までずっと出ていて、3-1で勝ったその2点目に最後のパスを出していた。 アシストっていって公式記録に残るプレーらしい。すごい。素人のわたしから見ても、横山さんは抜群に上手だった。 そんなこんなで、わたしはますます横山さんが好きになってしまった。ああもう、いい年なのに。 帰り道のそのバーの前を通るので、ここ最近わたしは帰り道の度にそのときを事を思い出してしまう。 楽しかった。サッカー観るのって、あんなに楽しいことだと思わなかったな。 まったくわたしの口元は緩くて、誰もいないのをいいことに思い出しニヤけしてしまうのを抑えられない。 「いいことあった?さん」 あと50mほどで家に着く、その信号を渡ったところで声がした。 「俺のこと覚えてる?」 「……横山、さん」 「よかった、覚えてたみたいで」 横山さんは笑った。けれどもうその笑顔は子供らしさなんてこれぽっちも孕んでいなかった。 れっきとした、正真正銘の男の人の微笑み方だった。 「なんで、名前」 「手紙くれたでしょ?」 「あ、…届いてたんですか」 「当たり前じゃん。でも合宿とかあって、読んだの今日なんだ。」 だから、返事遅くなってごめんね、と横山さんは言う。 さっきからこの先にプレゼントでも待ち構えているみたいに楽しそうだ。 わたしはまた催眠術にかかったみたいに頭がぼやっとしてきている。 だって、何でまた突然。本当にわたしってアドリブに弱い。 返事と言いつつ本人が来てしまうなんて、すごい行動力だ。 ついこの前まで知らなかったくせにだけど、自分がどれだけ有名なのかわかってるの?と聞きたくなってしまう。 一体いつからいたんだろう?こんなところをフラフラしてて大丈夫なんだろうか。 「いえ、あの、…あの時は本当にありがとうございました。お礼も言わずに失礼してしまって」 「全然。お礼なら手紙にも書いてくれてあったし、いいよ」 「でも本当に助かりました、ありがとうございました。」 「なんで俺が君を助けたか、わかる?」 「いえ…あ、雷がダメだから?」 恥をしのんで言ったのに、横山さんは全然検討ハズレですっていうちょっと小馬鹿にしたような表情をした。 ちょっとだけ、むかつく。それがうっかり顔に出てしまったらしく、今度はお兄さんみたいに微笑んだ。 「一目惚れ」 他に答えなんてあるはずないでしょ?というくらい自慢げに。 「え、…えっと」 「したことない?」 「ないです」 「そっかー。一目惚れ、信じない?」 まだまだ催眠術は続いているみたいで、びっくりしてるのにどこか遠い感覚があった。 わたしと横山さんのいる世界の距離と同じように。 からかわれているのかもしれないと思うのに、あの時の神様を信じたい自分もいて、自分の本当が見えなくなってくる。 混乱して黙っていると、横山さんは何かうんうんと1人頷いて、1歩こちらに近づいた。 「あのさ、やっぱお礼もらってもいい?」 「あ、はい。家近いのでとって来ます」 「そうじゃなくて」 「はい?」 「お願い聞いて」 「お願いですか?」 うん、と頷いた横山さんはあの、忘れられない子供みたいな笑顔だった。 (閃光 落雷 轟き。麻痺させる。目の前しか、見えなくなる。神様じゃない、豪雨だ。) 「俺を信じてよ」 結局わたしは、彼の言いなりだ。 080917 090122 加筆修正 No.24 あいにくの雨で(O-19 fes.2008提出作品) |