風もないのに揺れている












秋桜











学校のグラウンドの隅の花壇に咲く、コスモスが好き。
毎日わたしは放課後になると、見えなくなるまでそこにしゃがんでコスモスを眺めていた。
赤、ピンク、濃いピンク、白、黄色、薄紫、うすっぺらなのになんだかふっくらしていて、 根本まで絵の具に浸した絵筆をゆっくり置いた、そのままの花びらの色も形も、 細くて、いつだってゆらゆらと空気にたゆたう、どこか頼りなげなのに芯が入ったようにスラっと のびた茎も、レース編みを作っている途中の葉も、ぜんぶがすき。











「あぶない!」



テスト期間のある日の夕方、いつもどおりコスモスを眺めていると、久々にとても大きな声が聞こえた。
もうあたりは薄暗くて、校庭にはわたしと、サッカーをしていた男子数人しか居なかった。
つまり、これはたぶんわたしに向けての大声なわけで、わたしはとりあえず反射的に小さくなってぎゅ、と目をつむった。
避けられればいいものの、あいにくわたしにはその「あぶない」ものがどこから飛んでくるのかも見当がつかないし、 わかったとしても避けられるほど俊敏な運動神経は悲しいことに備わっていない。


ああ、なんだか左の方向から、すごく嫌な音がしたわ。







「大丈夫か?」


近づいてきた男の子の声に、おそるおそる目を開けて、正面に向き直った。
コスモスは裕に1メーターを越える高さで、本来であればわたしの視界に声の主は入らない、 それなのに、隣のクラスの転校生・・・・たしかひなせとかひなぜとかひなたとか、そんな名前の 男の子が心配そうに屈んでわたしを見ているのがはっきりと見えた。
左胸の名札が夕焼けを反射して、 チカチカ している。名字の読み方がわからないけど、名前はみつひろというようだ。


「ああ・・・・!!」



溜息と悲鳴が一緒になって出た声に光宏くんはびっくりしたようだった。
わたしの顔も相当歪んでいたみたいで、あわてて当たった?怪我したか?と言いながら何度も謝ってくる。
耳には聞こえるけれどわたしはさっきから1点をずっと見つめているから光宏君の表情はわからなかった。



「コスモス・・・・」



なんとか言葉にして言うと、光宏くんは、あ・・・やっべーな、これ!と花壇の真ん中に落ちた白黒の隕石を 拾って、なぎ倒されたコスモスに苦い顔をした。
そこでわたしの反応の意味に気づいたようで、ごめん、ほんとに。と深く頭を下げてくれた。

ここまで謝られるとわたしだってぷりぷりと怒っていられない。
本当はどこ蹴ってんだヘタクソ!と思いっきり罵ってやりたかったけど、 泣きそうになりながら、でも泣くわけにもいかなくて、だって泣いてしまったらそれこそ真摯に謝ってくれている 光宏くんに失礼だ、わたしは俯いたまま、用務員さんのところに行くから。と言ってその場を走って離れた。



花壇はいつも用務員さんが水遣りや手入れをしてくれていて、毎日それを眺めたり手伝ったりしている うちに必然的に仲良くなった。
ボールが飛んできてコスモスが折れてしまったと話すと、折れたのはあげるよ、と咎めることも言及することもなく やさしく笑ってくれたので、わたしは涙も引っ込んで、また駆け足で花壇へ戻った。


「あ、さん」


戻ると花壇にはまだ光宏くんがいて、もうとっくに帰ったと思っていたからすごく驚いた。
どこまでも律儀な人だなあ、と感心する。



「あのね、わたしは怪我してないよ。大丈夫。だからね、帰っていいよ?」
「や、でも俺コスモス折っちゃったし・・・・」
「折ったのはわたしがもらっていくからいいの。」


だから大丈夫だよ。言いながらわたしはしゃがんで折れてしまったコスモスだけをパチン、丁寧にはさみで 切った。小さな花束くらいは作れそうだ。
コスモスの花束、なんてすごく素敵じゃないか。

それから2人とも何にも言わずに、はさみの音だけがリズムを作っていた。
光宏くんはまだ動こうとしない。



「ねえ、名字なんて読むの?」



いきなり光宏君、なんて馴れ馴れしく呼べるほどわたしは度胸がある方じゃない。
なかなか返事が返って来ないので、コスモスが消えたところから顔を覗かせると、 光宏くんは、はっと我に返ったみたいだった。


「ひなせ、だよ。日生光宏。」

「ひなせ、くん。へーえ、珍しいね」


できるだけやんわりと笑って、すぐ作業に戻る。自分で意識して笑ったのに、なんだかひどく恥ずかしくなった。
日生くんは花壇を挟んで反対側にいたわたしの方へやって来て、わたしのとなりに しゃがみこんだ。



「コスモス、すきなの?」


「え?」
「さっきからずっと見てるから」


日生くんは何を悩んでいるのか、うーん、ともごもご。言いあぐねている、 すきならすきって言えばいいのに。男の子が花がすきだって別に恥ずかしいことじゃない。


「はい。」

パチン、と白いコスモスを切って、日生君に渡した。
日生くんは、あ、ありがとう、と照れくさそうに笑って、その細い茎を摘まんでくるくると回した。


そのようすをなんでかじっと見てしまって、日生くんがこっちを向きかけたから 恥ずかしくなって慌てて切ったコスモスの花束で顔を隠した。

そういえば、どうしてわたしの名前を知っているんだろう?












051023