凍結












寒いなら手袋でもなんでもすればいいのに、あいつは手袋なんてめったにしなかった。
白い息が消える頃合を見計らったように話し出す。冬によく通る声。

「わたしの爪、紫色なの。」

「は?」

寒いと紫で、寒くないとピンクになるから、なんとなく気温がわかるの。
病気なんじゃない、と冗談めかして言っても、元気だと紫なんだよ。と 得意げに笑う。また白いもやが舞い上がって寒さで赤くなった鼻を霞めた。























正月は鬼門だった。
幼稚園の時に初めて熱を出してから、3年に1回は必ず正月に熱を出した。
不思議なもので、それ以外はいつだって健康で皆勤賞だの精勤賞だの、総なめにしているようなやつで、 今更思うとすごく都合よく風邪を引くもんだ。

2年ぶりの階段を上りながら思い出してみる。
小さくノックをしても反応がないので、できるだけ静かにドアを開けた。
2年ぶりの部屋は配置が変わっていなくてどこか安心させる。 自分の部屋とは明らかに違う、甘い香りが掠めて小さく戸惑う。









返事はなくて、傍へ寄るとぐっすり眠っているようだった。
頬は赤くて、苦しそうに口が開いている。ベッドの周りだけ妙に熱が篭っていた。 布団から少しだけでている手のかろうじて見て取れる親指の爪が、白い。


「寒いと紫で、寒くないとピンク、具合が悪いと白、ね」
わかりやすいんだかわかりにくいんだか、ほんの少し理解できないところも、2年前と変わってない。


ベッドの横に腰を下ろして、ヒーターをつけた。
の部屋は寒い。暖房がついてないからだ。
廊下や屋外のそれよりは人がいる分暖かいけれど、暖房の効いた部屋よりはずっと寒い。
寒いがりのくせに、冷え性のくせに、暖房つけないでどうすんだ。










――たぷん、

後ろでが寝返りを打ったらしい。溶けきってしまった氷枕が取替えのサインを出した。
起こさないように息を殺して、頭を持ち上げて枕を抜く。 しばらく来ていなかったけれどこの家の勝手は記憶には入っていて氷枕くらいならいくらでも作れる。 ゆっくりと部屋に戻ると、暖房が効いてきたのかさっきよりいくらか暖かくなっていた。




「・・・・か、さん?」

人の分だけ盛り上がった羽毛布団のせいで、顔は全然見えない。
ベッドから掠れたの声がして、はっと小さく息を吐いた。
見えないのは向こうも同じようで、俺のことをおばさんと勘違いしているみたいだ。

「起きた?」
「・・・・け、すけ・・?」

ベッドへ寄ると、うっすらと目を開けて、は掠れた声を出した。
名前を呼ばれたのは、中学を卒業して以来だから10ヶ月ぶりだ。

俺の持つ氷枕に目を留めてはゆっくり起き上がろうとする。
いいから寝てろと制して、頭を持ち上げて枕を替えた。

「力入れなくていいって」
「・・・入れてない」


それならこんな軽くて小さい頭の一体どこにあんな偏差値をたたき出す場所があるんだよ。
そう思ったけど言わずに小さくため息をつくと、それに呼応するようにが息を吐いた。


「お母さんは・・」
「うちのおふくろと出かけた。んで俺代わりに看病する係」
「・・・そ、か」

「俺ここにいた方がいいだろ、本読んでるから、寝とけ」
「・・・ん」



うつったらごめんね、小さくは呟いてゆっくりと瞬きをする。
瞳が揺らいで、涙が出た。


「何泣いてんだよ」
「・・・風邪引くと勝手に出るの・・」


何も考えていないのにいつの間にか手が動いて、俺の左手はの目を覆っていた。
熱のせいか涙のせいか、すごく熱くて、俺の手だって温かいはずなのに、それよりも ずっとずっと熱かった。


「やだね、ホントに風邪引くと涙もろくて」
「・・・」
「圭介、手が温かいね」


目を覆う俺の手の上にはそっと手を乗せた。
冷たい、冷たい手だ。手の平は肌を溶かすほどに熱いのに、 指先だけは肌を凍らせるほどに冷たかった。






乗せていた手をゆっくり浮かすと、はその上の手を自然に離した。
手の平の中で閉じられていた目が開いて、長い睫毛が少しだけ、遠ざかる手の平を掠める。



「俺やっぱりお前のこと好きだ」


相変わらずの赤い頬で、はまた瞬きをして涙を流す。
苦しげに少しだけあいた口と乾燥してしまった唇が、微かに震えた。


「今言うなんて、ずるい」





そういえば10ヶ月前、先に好きだと言ったのは、のほうだった。












051203