菊さんは静かに目を閉じていた。
声をかけることもせず、その1分間、菊さんの後ろに立って私も目を閉じる。
遠くの蝉の声。瞼の裏に灼熱を見た。


「菊さん」
「おはようございます」
「おはようございます、食事の用意ができていますよ」
「はい、では行きましょうか」


目を開けた菊さんは、こちらを振り返ると瞳を深めるように微笑み、立ち上がった。
日の出はとうに過ぎていて、じりじりと太陽がゆったりと、しかし確実に私たちを焼いている。
真夏の朝食といっても菊さんは冷たいものを召し上がらない。
炊き立てのご飯、冷まさなくては飲めないほど熱い味噌汁、皮の焦げ付く香りの立ち上る焼き魚、 そして香の物。少しずつ具材を変えながら、一年季節を問わず変わらない献立。


「毎年ですが、思い出してしまいますね」
「…はい」
「私は床に臥せていたので、この眼で惨状を見た訳ではありませんが」


何十年か前、原爆が日本に投下された。その大分前から日本の負けは決定的だったし、 国としても相当疲弊していたというのは昔学校で習った。菊さんもきっと体調はかなり悪かったのだろう。
それまでだって菊さんはその身体でたくさんの人の死を受け止めてきたのだろうけれど、 その時の痛みときたら、今までのそれとは比にならないほどだったんじゃないかと思う。 こんなに細い、儚げな体でどれだけの苦しみをやり過ごしたのだろう。


「恥ずかしながら、あの時初めて血を吐きました。そして私にも血が流れているのだな、と感じたのです。吐いた血を見て、自分がまだ存在していると実感しました。…皮肉なものですね」


味噌汁を啜りながら、菊さんは静かにおっしゃった。 きっと私の思考など手に取るようにわかるのだろう。
お国のために死ぬ、というのは菊さんのために死ぬ、ということなのだろうか。 果たしてそれが愛国心なのだろうか。本当に菊さんのためになったのだろうか。 私は戦争が終わってから何十年も後に生まれたものだから、その頃のことなどわからない。
もし私が戦時中に生まれていたら、その愛国心を持って命を差し出したのだろうか。


「あまり難しいことを考えるものではありませんよ」
「…」
「今日の味噌汁は一段と美味しい」
「あ、お隣からいいお味噌をいただいて…」
「そうですか」


菊さんはあの独特の微笑み方をすると、また黙々と食事に戻った。
私は菊さんのために、明日はジャガイモとしめじのお味噌汁にしようと思った。















091117 菊がジャガイモとじめじの味噌汁が好きかは知らない\(^o^)/