静かに静かに、雪が降っていた。 雪は音がしないから、窓の外を一日中眺めていなくちゃ降り始めがわからない。 風も吹いていないのにひらひらと舞って、空に浮かぶ泡のようだった。 浮かんで消える arrivederci 「寒いのかなあ」 コン、と曲げた人差し指で水槽を叩いた。 玄関に暖房なんてもちろんないから寒くて、そのせいかハナは水槽の隅でじっとしている。 今年の冬は特別寒くて、明日のクリスマスイブに備えてか雪が静かに降り始めていた。 「行く?」 「・・・うん」 15歳になったわたしは受験生で、今日から冬期講習が始まる。 ハナはもう手の平をめいいっぱい広げても足りないくらい大きくなっていて、あの鮮やかさは 夏に映えるカンナのような色だった。 ハナにぱらぱらとえさをあげて、ゆっくり泳ぎだすのを見てから家を出た。 「平馬くん、いつ帰ってくるんだっけ?」 「この前の金曜から1週間だから・・・」 「今日じゃない」 「え!・・・・ほんとだ」 隣の家に住む平馬は先週から選抜だかユースだかの合宿に行っていて、 お母さんは自分の子供でもないのに、どこの学校受けるのかしら?とかと同じどころだといいわね〜 とかわたしの成績そっちのけで言っている。 平馬はきっと勉強しなくてもサッカー推薦でこの辺ならどこの学校でもいけるだろう。 そういうときは、こうして必死に勉強している自分と、好きなことをしている平馬とを比べて 羨ましい、ずるいと思ってしまう。 それで平馬はそれに見合う才能も努力もしてることを知っているくせにと落ちこむのだ。 「じゃあまた終わったら迎えに来るから」 「うん」 雪は溶けることなく積もって、止むことなく降り続いていた。 * * * あたりはすっかり真っ暗で、雪はまだ降っていた。 塾の間も止まなかったみたいで少しだけ道路の脇の雪が厚みを出し始めている。 「おかえり」 「おっ、おかえり」 迎えの車の扉を開けると、平馬が乗っていた。 「何してんの、早く乗れよ。寒いだろ」 「あああ、うん」 「平馬、なんでうちの車に乗ってんの」 「それがね〜、駅の前通ったらちょうど平馬くんが出てきたから送っていこうと思ってね」 「お母さん・・・(それ世間では誘拐って言わないの?)」 「そういうわけ」 「平馬もか・・・」 ああ雪に、雪になったの あの子は必死に生きて 雪になったの どこまでも地に着かない どこまでも、高く、高く 雪になったの 「ハナが動かないんだよ」 「病気?」 「わかんない・・・寒いからかもしれないけど」 「ハナ・・・何歳だっけ?」 「家に来てから7年くらい」 「そっか」 人も街もクリスマスにうきうきして(雪が降っているから余計に) 幸せそうだった。 横を流れる景色が、わたしにはなんだか寂しくて、怖い予感にうろたえてしまう。 家に着いて、平馬はハナを見てから帰るというから一緒に家に入った。 暗い水槽の隅にハナはじっとして、しっぽを水にゆらゆらと任せている。 「エラ動いてるな」 「うん」 次の朝、寝坊して昼過ぎにわたしが起きた時にはもう水槽は空だった。 お母さんはきっと寿命だったんだろうと言っていた。 わたしは部屋着のまま家を飛び出して、隣の家に飛び込んだ。 「ハナが死んじゃった」 ずっと一緒にいたのに、埋めてあげられなかった。 ぼろぼろと零れだす涙にも平馬はびっくりして、玄関先で泣き出すわたしを 抱きしめて着ていたスウェットをタオル代わりにしてくれた。 きっと寿命だった。お母さんも平馬も、わたしもそう思う。 だけど、あの狭い水槽にひとりぼっちで、幸せだった? 「は、幸せだった?」 「・・・・・・、」 ハナとずっと一緒で、幸せだった? 「幸せだったよ。一緒に大きくなれて、幸せだった」 ならばそれでいいんだと、平馬はゆっくり言った。 「俺がもしハナだったら、とずっと一緒にいれて幸せだと、思う」 平馬はひたすらに優しくて、温かくて、わたしはますます泣いた。 どうか今だけはとらないで 今だけは、このままで 生きているという温かさを忘れないように 人魚姫のように泡になって消えるような悲しくて綺麗な死に方なんでできない。 でもそれでも、ハナのあの鮮やかな赤は、真っ白な雪に溶けて、いつか太陽をもっと燃やすんだろうと信じたい。 060105 |